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2009年7月27日 (月)

"日の丸”が似合わない”ウヨ” な論客

”コイズミ祭り”から続く一連の政治思想メルトダウンのおかげで、自民党という政党が、日本的伝統思想をベースにした”保守政党”ではなく、”政権”を接着剤に結集しただけの”自己保身政党”だということがミエミエになってきました。

最近の政局騒動の登場人物から、日本的な美意識を感じないのは、ベースに”清廉潔白な克己心に裏打ちされた、慈愛溢れる理想主義”=”日の丸に象徴される”日本的な思想性が希薄だからでしょうね。

NHKの大河ドラマ”天・地・人”なんかでも、これでもかというくらいに”美意識ある生き様”を見せつけてくれるわけですが、西郷隆盛の座右の銘である”敬天愛人=天を敬い人を愛す”に代表される”慈愛溢れる心意気”をもった保守の政治家は自民から消えてしまったのかもしれません。

”敬天愛人”こそがベーシックな日本の保守の思想性だと思うのですが、反左翼であること以外は思想がないんじゃないかと感じさせるDQNが多いみたいで、その人たちがさらに”なんちゃって””保守政党”のメルトダウンに拍車をかけている気がします。

今思えば4年前の郵政騒動で信念を貫いて離党した、平沼赳夫さん、城内実さんとか、国民新党の綿貫民輔さん、亀井静香さん,亀井久興さんなどが”日本の保守”を体現する人たちだったんじゃないかと思います。
なかでも亀井久興さんは、”潔さ””誠実””仁愛”の美しい日本人の典型みたいな人で、ふたたび国会に戻ってきてほしい人ですね。

彼らが軸となって”守り伝えるべき日本らしさ”というものを大切にする政治潮流を再生してほしいと思います。

最近、”日の丸が似合わないウヨ”という逆説的表現がフィットするような保守論客が増えた気がしますw

保守論壇の堕落という視点で、思想性の欠如という本質的なつっこみを入れている山崎行太郎さんのブログをよく読むのですが、”自称保守”なのに全然”日の丸”が似合わないというような、保守系評論家の本質的な思想性の欠如という、”とほほ現象”がよく出てきます。

山崎行太郎”毒蛇山荘日記” http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

このブログ記事でも、竹中氏とともに本来の日本の保守ならばありえない”マネーの豚”礼賛に走っている渡部氏の無思想性をチクリとやってます。

無思想であるが故に、”反左翼”しか立脚点がない、”なんちゃって保守主義”の本質を、思想哲学をふまえて、重層的な論陣であぶり出していておもしろいです。

日本人なら持つだろう”自分は天運に恵まれた”という謙虚さがみじんもなく、すべて自分の成果だと自己を肥大化させ、富を独り占めする”マネーの豚”を正当化するような思想性は、”敬天愛人”を体現した”日の丸”を掲げる精神性から見たら、全くの真逆に位置する思想性だと思います。

”ネトウヨ”の人気評論家としては通用していても、”保守”思想的には・・・渡部昇一さん・・・終わってますね(爆)


補足

自民党のから本来の保守政治家が離党する契機となった竹中郵政改革の名の下に隠された裏利権とは何だったか?

植草さんのブログは膨大な情報を整然とまとめていてわかりやすいです。

植草一秀”知られざる真実”カテゴリー”郵政民営化=郵政利権化(1)http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/cat34351527/index.html

こんなインチキ改革が横行しても異を唱えられなかった人たちばかりですから、やはり自民の大勢は保守主義というより保身主義ですね(爆)

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2009年7月23日 (木)

偶然肉眼でみえた三日月になった太陽

Dsc02176

フィルターなしで撮影できたものですが・・・・夜空の三日月のようになった太陽の写真です。

名古屋では最大80%の日食ということで、夕方のように暗くなることはないのですが、ちょうどその時間に雲が重なって、それまでの日差しがうそのようにいきなり夕方のようになったのは不思議でした。

昨日は皆既日食の話で持ちきりでしたが、昨日の日食のピークの午前10時40分あたりに雲が絶妙なフィルターになってくれたおかげで肉眼ではっきり三日月状の太陽を確認できました。

昨日のテレビ番組でも、”皆既日食を見てから人生観が変わった”という人がいらっしゃいましたが、宇宙のスケールの大きさと、その天の恵みで生かされている命の奇跡を実感できた人からすれば、数字遊びのマネーゲームで一獲億金を積み重ねて、自分で世界を支配した気になっている、大富豪となった一握りのマネートレーダー連中などは・・”超肥大豚”みたいに、醜く哀れさえ感じさせる存在なのかもしれませんね。

(郵貯マネーをゴッツリいただきそうなゴールドマンサックスなど、世界中に大迷惑をかけたアメリカマネー資本が軒並み過去最高益という最近のニュースには辟易しています)

畜産動物の豚は、より太ることで、より多くの人に食料として供され、社会の糧となります。

一方、レーガン革命以後の”金融グローバリズム”の中で肥大化してきた”マネーの豚”たちは、世界中の”善良な人々”を食い物にして、肥大し続けながらも、”社会の糧”として供されることもなく、そのまま腐敗し、病原体となり、現代の社会破壊の根源となっています。

小泉竹中時代には、この日本でも、そうした”マネーの豚”たちが、新時代の日本を担うヒーローとしてもてはやされましたが、あれから5年たった今、隔世の観がありますね。

090717_628どんなにカネを稼いでも、どんなに強大な権力をにぎっても、いつかは消え去る運命にあるのが我々です。

そしてこの地球上のすべてのエネルギーの源である太陽も、広大な宇宙の歴史空間の中では小さな”けし粒”のひとつに過ぎません。

ビッグバンにより”無から誕生し無限に拡大し続ける”と思われていた宇宙ですが、日本の物理学者のニュートリノの発見で、無限の拡大を続けた宇宙がある時から収縮に転じ、やがて無に帰するということも明らかにされつつあります。

無から有へ・・・有から無へ・・・という永遠のサイクルをくりかえすこの宇宙・・・釈迦が説いた宇宙の摂理が科学的にも説明されようとしています。

すべて無に帰する運命にあるからこそ、有であることの奇跡が、今この瞬間がありがたく思えます。

”結果にとらわれることなく、今この時の天命を受け入れ、ただただ、それを全うするのみ”というのが、古来より引き継がれてきた”日本人的な”ライフスタイルですが・・・

天の太陽を仰ぎ見ながら、この国が、”日の本の国”といわれる所以をしみじみ感じたしだいです。

 

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2009年7月19日 (日)

太陽光発電を活かすにはスマートグリッド

新世紀エヴァンゲリオンのアスカじゃないですが・・・”あんたバカあ?”といいたくなるような”太陽光発電”万能神話にはまっているような政治家が多いと感じる今日この頃です。

”スクールニューディール”ということで、全国の小中学校の屋上に太陽光発電を設置するとか、家庭の普及台数を増やすとか、太陽光発電を増やせばいいと単純に考えているような政策がやたら目に付いていますが、”いんちきエコ”の臭いがかぐわしく・・・どうも納得できません。

太陽光発電の仕事で生計をたてている”私”としてみれば、手放しで大喜びして、太陽光発電設置拡大の大盤振る舞いを推進してくれる”政治家の先生方”に”平身低頭”して、”仕事のおこぼれ”をもらえばいいのかもしれません。

しかし、”日の丸”=”太陽”を”国旗”に掲げる日本という国に、強い”想い入れ”を持つ自分としては、”太陽光発電”を名目にして、貴重な”財政資金”が無駄に浪費されるのはとうてい見過ごすことができないわけです。

あまり知られていませんが、”太陽光発電”の普及台数が少ない地域は問題ないですが、”太陽光発電”の普及台数が多い地域では、太陽光発電の増設に伴い、均一化した電気の質(電圧など)を維持して電力供給するために、トランス共有を避けるための迂回経路も含めて、大変な調整が必要なようです。

日射量により大きく変動する太陽光発電の電力を調整しながら安定供給するには、今のセントラル供給方式主体で整備された電力供給のインフラそのものを、次世代型のスマートグリットといわれる分散調整対応の供給システムに切り替えていかなけれならないわけですが、その分野では先進国の中で日本がダントツに遅れているようです。

昨今”太陽光発電”設置台数20倍というキャッチフレーズばかりが先行していますが、そうした致命的な問題点が置き去りにされているようで、とても心配です。

”太陽光”とか”風力”とかの”再生可能エネルギー”の発電に比率を高めることは、”エコ”という視点だけではなく、”エネルギー安全保障”の視点からも重要です。

その意味でも、現状の電力供給のインフラの問題点を解消しないまま、不安定な発電の太陽光発電を20倍に増やすことだけを考えているような、”あんたバカあ”な”政治家”が自信満々に語る”スクールニューディール”には、ほとほとうんざりしてしまう、というのが正直な感想です。

このままでは、気分だけ”なんちゃってエコ”で、実際は電圧調整で大量の電力を無駄に放出して捨てるだけという、”わざわざごみを分別させておいて、後でひとまとめにして焼却炉へ”という、”ごみ分別回収のいんちき”みたいなことになりかねません。

”スクールニューディール”で、全国の学校に太陽光発電を設置するだけで、巨額の税金を投入するのなら、もっと”スマートグリット”を補完する”蓄電設備””変電設備”に予算配分するとか、余って捨てている深夜電力を有効活用するための蓄電システム設置に補助金をだすとか、”ほんもの”の”エネルギー産業革命”につながるような工夫をしてほしいと思います。

ところで、新エネルギーブーム=エコブームの影で、やがて消滅いく運命にあるだろう地方の地域密着の燃料屋さんのことが忘れられていますが、もったいないことだと思います。
実は、その地域のガス屋さん・・・”地域密着営業”で、貴重な地域ユーザーとのコミュニケーション力を保持していまして”新エネルギー関連”のような”説得型商品”の販売力がはんぱじゃないです。キラリと光る名うての営業のいる”地域のガス屋さん”は、少なくないです。

その力を、”スマートグリッド”の”電力供給業者”、”メンテナンス事業者”として活かさない手はありません。

彼ら地元密着事業者の新エネルギー産業への新規参入を支援する政策補助、資金援助=地域再生プランもぜひ考えてもらいたいところです。(当社的にはライバルが増えるんで大変になりますが・・・)

こうした地域事業者の事業転換支援がうまくいけば、”エコ”、”エネルギー”にとどまらない産業政策、地域再生策として、景気回復の道もみえてくると思います。

8月の総選挙に向けて、”太陽光発電の設置補助額を倍増させて太陽光発電の設置台数を20倍にします”なんていう”あんたバカあ”なマニフェスト案を考えている政党もあるかもしれませんが、現場のプロが納得できる”新エネルギー産業革命””地域産業再生””地球環境保護””環境価値の市場化”などのキーポイントをしっかり押さえた”マニフェスト”を提出してもらいたいものです。

偏差値が高い大学を出た人が多いわりに、”つぼ”をはずした”プラン”が多いのは、受験偏差値は高くても”KY偏差値の低さは最強レベル”の”法曹出身者”が多いからでしょうか(爆)

欧米は新エネルギー産業革命の主戦場に”スマートグリット”を位置づけています。

個別企業でどうこうできないレベルの先行投資、政策誘導がものをいう分野です。

今のままの”あんたバカあ?”な日本な政治では、インフラ整備に遅れをとって欧米の”かも”にされかねないです・・・orz・・・なんとかしてください・・・・

スマートグリッド紹介記事いろいろ

(1)「スマート・グリッド」構築がアメリカの競争力維持に向けたコア・プロジェクト(ダイヤモンド)
http://diamond.jp/series/zai_hirose/10015/

(2)スマートグリッド 次世代送電線網 相次ぎ実験  (日経)※引用記事
http://blogs.yahoo.co.jp/binrei2/31985780.html

”エコ”で頭がお花畑になったような”政党”もあるようですが、本質をふまえてきちんとした政策実現をすすめている政治家も与野党それぞれいらっしゃいます。

(3)参議院議員 島尻あい子 WEBサイト 産経新聞 スマートグリッド記事紹介
http://shimajiriaiko.ti-da.net/e2711173.html

さあ本当の新エネルギー時代にむけて・・・”いんちきエコ”と戦いながら”日の丸”背負ってがんばります・・・応援よろしくお願いします・・・

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2009年7月14日 (火)

古きよき日本の空気が流れる町

”半ケツ”女子が闊歩している名古屋の街中に住んでいると(爆)

たまたま訪れる地方の町の空気にしみじみ感動したりします。090106_007

愛知県の北のはずれの犬山とか・・・徳川家発祥の地の岡崎とか・・・

お城があり坂道があり川があり・・・老人と子供が散歩してて、オーソドックスな学生がいて・・・

マイペースでゆったりと流れる時間の中で、最後に残すべき大切なものだけははずさない”ぬくもりのある空気”はなんともいえません。

こうゆう町には、"守るべきもの"をかたくなに守り続けてきた大人たちがいて、子供たちも"ほんもの"の大切さを受け入れているんでしょうね。

以前東北の会津の”藩校””日新館”を訪れたとき、”ならぬことはならぬのです”という言葉が印象に残りました。合理性なるものを超越したところにこそ”まこと”があったりする、ということを体得してきた”日本人”の、”人生哲学”の深さを垣間見ることができます。

そんな日本人の古来の、”天命”を受け入れる哲学に、一石を投じた臓器移植問題ですが、国会であっさり議決されたということは、”天命“派の自分にとりましては、衝撃の出来事でした。

独自の死生観から、死体の有効活用ともいえる臓器移植に消極的だった日本が、臓器移植推進に大きく舵を切ったわけですが、”ならぬことはならぬのです”という古来の日本人的発想ならば、延命の可能性をあえて遮断し、天与の運命の中で生を全うすることを是としたのでしょうが・・・・”国内でも金で命を買える道”を選択して踏み出したようで複雑な気持ちです。

今回の臓器移植法案で、保守といわれる政党の中でも、日本本来の思想哲学を重んじる本来的な保守政治家は少なく、西洋的な合理主義的保守が多いということがわかったのは面白かったです。(そのくせ自己については非合理性の極みというのがさらに面白いです・・・ようするに保守というより本質は保身なんでしょうね)

さて梅雨明けです。これから発電量を稼ぎたいところです

7月10日 5kwh

7月11日13kwh

7月12日11kwh

7月13日12kwh

7月14日14kwh

7月1日~7月14日 トータル145kwh・・・1kwh=49円換算で7,105円

当社に設置してある3.21kw太陽光発電システムの発電量を公開しています。

西隣のビルの陰になる東北東設置という条件ながらそこそこ活躍しています。

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2009年7月11日 (土)

定格出力と実際の発電量の比較教えてください?

今年の6月は梅雨の晴れ間で日射量が稼げましたのでそこそこ発電しました。Dsc02231

7月の出足は悪いですが、後半で一挙に稼ぎそうなんで、今年の夏場(4月~9月)も1か月あたりの発電量は定格出力3.21kwx120以上は軽く確保できそうです。

シャープの太陽光発電がメーカーのシュミレーションと比べ実績がいい理由なんですが、定格出力より実際の発電量が大きいということが最近わかりました。

シュミレーションが低めに記載されている三菱電機さんなど他のメーカーも同じことが言えるのではないでしょうか・・・・年間発電量の目安は定格出力の1000倍と明言されている某メーカーのユーザーでもある販売店さんが扱っているメーカーの場合は違うかもしれませんね・・・・定格出力と比べた実際の発電量には興味深深です。

だれか工事に立ち会われた方、シャープ、三菱以外の定格出力と実際の発電量の比較を教えていただけせんか?

(パネルの裏側に発電量が記載されたシールがはられているはずだと思いますので・・・)

もうしわけございません、発電記録が途絶えていました。

わかる範囲で掲載いたします。

※当社設置の太陽光発電記録

当社分室に設置してある3kw太陽光発電システムの記録を公開しています。

西隣のビルの陰になる東北東向きという悪条件ながら結構健闘しています。

6月1日~30日 トータル376kwh(固定価格買取導入で1kwh=49円として計算したら、18、424円分)

7月1日~9日 トータル86kwh(固定価格買取導入で1kwh=49円として計算したら、4,214円分)

7月1日12kwh

7月2日8kwh

7月3日9kwh

7月4日15kwh

7月5日11kwh

7月6日4kwh

7月7日10kwh

7月8日4kwh

7月9日8kwh

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2009年7月 8日 (水)

阿弥陀経とキリスト教・・封印された死海文書そしてエヴァ

中日新聞の朝刊で、五木寛之氏の小説”親鸞”が連載されているんですが、毎日楽しみにしています。

うまくいえないですが、”他力本願”の”念仏”とは、ありのままの自分の弱さ、愚かさ、醜さを認めること、同じように業にさいなまれ苦しみを持つ他人を同胞として慈しむこと、すべての人を慈愛を持って包み込んでくれる阿弥陀如来の救いを希求することなど、位相の違う”こころ”のあり方を一体化させる過程をへて、”こころ”を魂の救済=愛の境地へとを導いていく一つの方便だと思います。

五木氏の連載小説”親鸞”では、ひとりの仏教者がその”他力本願=念仏”をひとつの方便として悟った上で、人間の魂の救済のあり方を試行錯誤していく、魂の遍歴を描こうとしていますが、本当の宗教のルーツにあるべき、”慈愛”を照らし出そうという、氏の集大成にふさわしい作品だと感じています。

そうした氏の小説に毎朝接する中で、最近ですが、”実はキリスト教の”メシア”と阿弥陀経の”阿弥陀如来”は、同じ存在ではないか?という事実に気づきはじめました。

時系列で言えば、釈迦が阿弥陀経を説いた時代より300年以上後に、キリスト教のベースとなる旧約聖書が創られていますが、旧約聖書誕生の秘密が書かれていて封印されているといわれている”死海文書”なるものに、実は、ユダヤ教~キリスト教の起源は、釈迦が方便として説いた阿弥陀経にあることが明記されているのかもしれません。

実は、ユダヤ教~キリスト教は、個人=私の意識が強い西洋に向けて、釈迦の説いた阿弥陀経をより信仰への強制力を強化したものとしてアレンジされたのではないか・・・という、西洋人が聞いたら怒り狂うような仮説ですが、中日新聞の連載小説”親鸞”を読んでいると、普通に想像できる事実として感じれるようになっています。

善人が救われるのに悪人が救われないわけがない・・・という逆説的な物言いの中に真理をなげかけている親鸞上人の他力本願=念仏の思想と

人間は罪深い存在であり、神に懺悔し、悔い改めることで神に天国に導かれるというキリスト教の贖罪思想

裏返せば、どんなに悪逆非道な行いをしたものでも、仏を念じ、神に祈れば許されるという救済の構造が実に似ていると思いませんか?(一歩間違うと御利益的・ご都合主義的解釈で、堕落につながりやすい反面、大衆人気を得やすい)

仏教とキリスト教の違いは・・・仏教者が、あくまでも他力本願=念仏を方便とした上で、万物を受け入れ、慈しむという”こころ”の導き方のひとつと悟ってとらえるのに対して、キリスト者は、すべてを罪深い人間としての存在の贖罪に集約させ、神の絶対化へと収斂させていくというように最終的なベクトルは大きく違いますが、”自分が不完全な存在であることを認め、救いを受け入れることから始まる”というスタートは同じだったんじゃないかと感じています。

ちょうど先月の27日から”新世紀エヴァンゲリオン新劇場版・・破”が劇場公開されています。”新世紀エヴァンゲリオン”では、”使徒襲来”~”サードインパクト=ハルマゲドン”に至るシナリオは”裏死海文書”を踏襲しているという設定になっていましたが、発掘されて以来、封印されたままの本物の”死海文書”には何が書かれているのでしょうね?

前作の劇場版”新世紀エヴァンゲリオン~AIR”は・・贖罪としての”人類補完計画”を遂行しようとする秘密結社”ゼーレ”、自己の絶対化としてゼーレの”人類補完計画”の利用を狙った”ゲンドウ”、運命に翻弄される”シンジ”たち”チルドレン”が絡む”終末”に向かうストーリーの中で、結論として、ミサト、リツコ、ゲンドウ・・・消滅していくひとりひとりの人間に対する”切ない愛おしさ”を余韻として残し、その余韻そのものをメッセージとした”秀作”だったと思います。

今回の新劇場版4部作も、最終的には、”大乗仏教”的な”愛”に集約されていくのでしょう。ぜひ劇場で見てみたいと思っていますが、上映劇場が少ないのと時間がないのとで、またビデオで見ることになりそうです。

”アニメ”という先入観を捨て、文学作品を見る感じで、宗教観的なテーマを絡めてみるとなにか深い物を感じれると思います。年配の人にもおすすめですから是非見てやってください。

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2009年7月 5日 (日)

”郵政まつり”の次は”道州制まつり”ですか?

4年前の”郵政まつり”に代表される”小泉まつり”は、”キャプテン”が主導する”日本解体まつり”でした。

次の”日本解体まつり”は、キャプテン臭がきつい”橋下知事”らの”カイカク派”首長が主導する”道州制yesかnoか”なのかなあと、マスコミ報道の軸足を見て感じています。

キャプテングループのシナリオライターは、自民保守はx民主もx・・・”第三の選択”・・・”カイカク新党”登場・・”大躍進”・・”永遠なるキャプテン政権樹立”というシナリオを書いている気がします。

※”郷土”を消滅させる”道州制”に異議あり

平成の大合併で、全国の村とか町が消え、新たな市が生まれました。

大合併される前の行政のくくりは、歴史的な境界線・・中世から続く、”くに”=”郷土”がベースになってきましたので、地域文化・地域共同体の存続基盤たりえました。

しかし、小泉時代・・短絡的な経済合理主義が跋扈する中、生産性・収益性の阻害要因とされた”郷土”自治体は次々となくされ、新設の”市”へと吸収されるなかで、そうした地域文化・地域共同体の継承は危うくなっているのが実情です。

古くからの”郷土”の歴史文化を、大切に守ってきたような地域は、得てして人口が少ない、中山間の農村地域が多く、多数決原理の議会政治では、後回しにされかねない存在です。

もっとも、豊田市など、税収が豊富な自治体では、都市部と山間部の双方に、予算配慮をする余裕があるようで、吸収した足助町の文化遺産をリメイクして効果的な地域振興につなげていますが、余裕がない大部分の”市”だと、どうしても”効率が悪い””中山間地域”はなおざりにされてしまっているのが、実情ではないでしょうか?

”自治体という防護壁”がなくなり、”中山間地域”の”郷土”が、どんどん消滅していくようで寂しい限りです。

このように、”市町村レベル”でも”郷土”の”伝承”が途絶えていくわけですから、これから”道州制”となったらどうなんでしょうか?

確かに”全国レベルでみて保存価値があるとされた文化財・産業育成”には、より豊富な予算配分がされるかもしれませんが、その網の目をこぼれた、多くの”郷土”は自然消滅していく運命にあると思います。

”ひとつにまとめたほうが効率的である”というのが、”平成の大合併”とか”道州制”の根拠ですが、”歴史的絆”の裏付けがない”行政のくくり”を、経済合理性だけで無理矢理当てはめる考え方は、土着日本人としては”いや~な感じ”がしてしまいます。

”地方””郷土”が、長年守り継いできた”歴史”の”断絶”が生じて、ますます地域の”歴史文化共有体”が弱体化していくようで、”日本が日本でなくなる”ようでとても心配です。

男系継承の皇統断絶を”合理性”だけで論じたキャプテングループですが、”地方分権”を巡る論議でも、”近代合理性”重視で、歴史への敬意が微塵も感じられないのが、彼らの本音を垣間見せている気がします。

20世紀になってからこの国にやってきた人たちですから、それ以前の歴史には価値を認められないのでしょうか?

”日本”を”日本”たらしめているのは、”地理的なくくり”でないのはいうまでもありません。

長い”歴史”の中で、また、そこで生きた人々の暮らしの中で、育まれてきた”文化風俗”であり、そこで形成されてきた”宗教観””価値観”です。

そうした”人と人の絆”のリレーのなかで積み重ねられてきた”こころ”そのものが、”日本”が”日本”であるベースになっていると思います。

そうした”日本”で生きた人々への”愛”、人が積み重ねてきた”歴史”への愛着こそが、”祖国愛”であり、代々守り継がれてきた”郷土愛”のルーツとなっているのではないでしょうか?

”地方分権”を考えるとき、”歴史””人としての絆”をないがしろにして、合理性ばかり重視する考え方の”カイカク”では、真の”地方再生”も、”日本再生”もないと思います。

岐阜県の美濃町(美濃市)とか郡上八幡町(郡上市)とか岩村町(恵那市)にいくと・・・金ぴか好きの”名古屋人”にはない、”土着日本人”というものをしみじみ感じさせられます。

道州制になり、それらの味わい深い”郷土”が、州都のパチンコ発祥の地名古屋の”名古屋色”に染められてしまったらと思うと・・・・名古屋生まれの名古屋育ちの自分ながら、”ぞ~っ”としてしまいます(爆)。

となりの韓国は”全羅南道”とか”全羅北道”とかの道州制ですが、入れ替わりで他民族の支配を受け、地域に根ざした歴史文化共同体が育たなかった韓国とちがい、武家社会の地方分権体制をベースとした歴史を1000年近く続けた日本を、同じにしてしまう”道州制”の何が楽しいのでしょうか?

”郷土”をないがしろにしかねない”道州制”には、DNAレベルで拒否したいと思います。

”はじめに道州制ありき”で”地方分権”をすすめようとしている勢力が・・・”日本解体”をすすめてきた”キャプテングループ”というのが、実ににわかりやすいです(爆)。

みなさん!マスコミの”ニューヒーロー”演出にはくれぐれも気をつけましょうねw

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