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2009年7月27日 (月)

"日の丸”が似合わない”ウヨ” な論客

”コイズミ祭り”から続く一連の政治思想メルトダウンのおかげで、自民党という政党が、日本的伝統思想をベースにした”保守政党”ではなく、”政権”を接着剤に結集しただけの”自己保身政党”だということがミエミエになってきました。

最近の政局騒動の登場人物から、日本的な美意識を感じないのは、ベースに”清廉潔白な克己心に裏打ちされた、慈愛溢れる理想主義”=”日の丸に象徴される”日本的な思想性が希薄だからでしょうね。

NHKの大河ドラマ”天・地・人”なんかでも、これでもかというくらいに”美意識ある生き様”を見せつけてくれるわけですが、西郷隆盛の座右の銘である”敬天愛人=天を敬い人を愛す”に代表される”慈愛溢れる心意気”をもった保守の政治家は自民から消えてしまったのかもしれません。

”敬天愛人”こそがベーシックな日本の保守の思想性だと思うのですが、反左翼であること以外は思想がないんじゃないかと感じさせるDQNが多いみたいで、その人たちがさらに”なんちゃって””保守政党”のメルトダウンに拍車をかけている気がします。

今思えば4年前の郵政騒動で信念を貫いて離党した、平沼赳夫さん、城内実さんとか、国民新党の綿貫民輔さん、亀井静香さん,亀井久興さんなどが”日本の保守”を体現する人たちだったんじゃないかと思います。
なかでも亀井久興さんは、”潔さ””誠実””仁愛”の美しい日本人の典型みたいな人で、ふたたび国会に戻ってきてほしい人ですね。

彼らが軸となって”守り伝えるべき日本らしさ”というものを大切にする政治潮流を再生してほしいと思います。

最近、”日の丸が似合わないウヨ”という逆説的表現がフィットするような保守論客が増えた気がしますw

保守論壇の堕落という視点で、思想性の欠如という本質的なつっこみを入れている山崎行太郎さんのブログをよく読むのですが、”自称保守”なのに全然”日の丸”が似合わないというような、保守系評論家の本質的な思想性の欠如という、”とほほ現象”がよく出てきます。

山崎行太郎”毒蛇山荘日記” http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

このブログ記事でも、竹中氏とともに本来の日本の保守ならばありえない”マネーの豚”礼賛に走っている渡部氏の無思想性をチクリとやってます。

無思想であるが故に、”反左翼”しか立脚点がない、”なんちゃって保守主義”の本質を、思想哲学をふまえて、重層的な論陣であぶり出していておもしろいです。

日本人なら持つだろう”自分は天運に恵まれた”という謙虚さがみじんもなく、すべて自分の成果だと自己を肥大化させ、富を独り占めする”マネーの豚”を正当化するような思想性は、”敬天愛人”を体現した”日の丸”を掲げる精神性から見たら、全くの真逆に位置する思想性だと思います。

”ネトウヨ”の人気評論家としては通用していても、”保守”思想的には・・・渡部昇一さん・・・終わってますね(爆)


補足

自民党のから本来の保守政治家が離党する契機となった竹中郵政改革の名の下に隠された裏利権とは何だったか?

植草さんのブログは膨大な情報を整然とまとめていてわかりやすいです。

植草一秀”知られざる真実”カテゴリー”郵政民営化=郵政利権化(1)http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/cat34351527/index.html

こんなインチキ改革が横行しても異を唱えられなかった人たちばかりですから、やはり自民の大勢は保守主義というより保身主義ですね(爆)

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