浅田真央と高橋大輔と荒川静香が貫いた大和ごころ
今回のオリンピックのフィギアスケートですが、男女ともに難易度の高い技を成功させるよりも、確実に点を積み重ねる”点数至上主義”に徹したアメリカ人と韓国人のプレーヤーが、男女それぞれの金メダルを獲得しました。
日本の高橋選手、浅田選手は、表現者であるとともに、スポーツ選手である道を貫き、果敢に難易度の高い技に挑みながらも、十分な点を稼ぐことはできず、金メダルには届きませんでした。
しかし、”得点”という”採算”を度外視して、ふたりが追求した極限の魂の演技は、"結果よりも過程を重んじる"多くの日本人にとって、胸に迫るものがあったのではないでしょうか。
日本の心を持つ多くの人たちが、数値的合理性を超えたところで、極限のプログラムのリスクに挑んだ二人の演技に、”もがき苦しみながらも、愚直にひたむきに一筋のひかりを見出そうと挑み続ける”ひとりの人間の生き様をみせつけられ、ジーンとしたんじゃないでしょうか。
”世の中結局はカネだよ”といわれつつも、”カネ”で買えない”こころ”に重きを置く日本的な美意識を、若い二人に見せ付けられ、日本人であることが誇らしく思えた瞬間でした。
※
確かに、採点方法が変わり、より点数を稼ぐことを主体にして演技を構成したほうが、確実に上位を狙える時代になったのかもしれません。
しかし、”点数”という”数値的合理性”を超えたところにこそ、ほんとうの真実があるはずです。そのことを体得できる日本人であればこそ、今回の日本人選手に感じるものが多かったのではないでしょうか?
あえて”結果”という合理性を超えたところにある”人生の答え”を、高橋選手、浅田選手の二人には、これからも表現していってもらいたいと思います。
思い起こせば4年前のトリノオリンピックで、荒川静香選手が、あえて得点にならないイナバウアを演じました。点数の勝ち負けよりも、自分の表現を貫き、会場を感動で包み込み、見事金メダルを獲得しました。
ちょうど時代は小泉竹中政権で、マネー至上主義、市場原理、数値的合理性優先の新自由主義が猛威をふるい、日本的な美意識をずたずたに引き裂いているときでしたが、トリノ大会の荒川静香さんの金メダルが”日本人に日本人であること”を思い起こさせるきっかけになったのではないかと思います。
あれから時代は大きく変わり、小泉バブルは急速にしぼみ、日本らしさが見直される時代が始まりました。
今回は、”大和ごころ”を果敢に貫き、敗れ去った日本選手ですが、どんなに苦しいときでも、”そこにある金よりも大切なものを見つけ出して!!”という、”天”が”日本人”に与えたメッセージなのかもしれないと感じました。
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