日本代表に感じた日本のDNAと政治にもとめられる日本的政治理念
ワールドカップでの日本チームの戦いは、本来の日本のDNAを感じさせるもので感動しました。
技術・体力で圧倒的な世界の強豪チーム相手に、互角以上の戦いをなしえたのは、心をひとつにした集団の力に他ならないと思います。
共同体の仲間をおもう気持ちが、個々の強い想いを導き出し、その個々の魂の共鳴が、”個”の壁をこえ”魂の融合”をなしえたとき、思いもよらない奇跡的な潜在能力を導きだすといいますし、その姿に多くのひとは心を動かされるものです。
戦後日本の奇跡の復興も、個の欲望よりも、団体戦の喜びともいえる”公”というベクトルの共有で作られたものだと思います。
敗戦の惨めさをかみしめながら、人間にとって大切なものは、金でも地位でもなく、他人である人と人のこころの絆であるということを身をもって示しながら、廃墟の中から戦後日本の礎を築いてきたのが、最後の皇民教育世代ともいえる戦中世代だったと思います。
その孫の世代である今回の日本代表が、祖父母の思いを体現するかのような戦いを演じきったというのは、天命を感じさせ、感慨深いものがあります。
※注※
マスコミ報道はわざとミスリードしていますが、アメリカとの戦争でぼろ負けし、その廃墟の中から日本の高度成長=奇跡の復興を成し遂げた世代は、占領教育世代でも団塊世代でもありません。
むしろ今マスコミででかい顔をしている、占領教育世代とか団塊世代とかの後の世代は、戦中世代の財産を、浮かれバブルとか小泉改革詐欺で、すっかり消滅させてしまうような転落の道をひらいた世代といえるんじゃないでしょうか?
※
奇しくも、日本代表と同じ世代は、社会人になると同時に、多くがワーキングプアの道を運命付けられている受難の世代でもあります。
最近町で見かけるリヤカーを引いた豆腐売りとか、スーパーの試食販売員、飲食店店員にそこそこの大学を出ながら就職先がなくその職についているなと感じさせる若者をよく見かけます。
新自由主義なる強欲の自由主義が、短期利益を目指すマネーゲーム資本主義に帰結し、経済合理性なる”あくなき利潤追求”を目的化すれば、先進国国民であるという絶対的なコスト高を背負った先進国の勤労者は、利益率の低い競争阻害要因とされ、やがて大部分が労働市場からパージされる宿命にさらされています。
自由競争に任せれば、マネー利益の最大化を軸に、多くの人間を排除せざるえなくなるのは利潤原理の当然の帰結です。
そうしたマネー利益の最大化を自己目的化すれば、本来は人間を豊かにするはずの経済活動が、人間を疎外する化け物として変質していきます。それに異を唱え、公益というマネー利益に反するベクトルを付与し、先進国の若者の働き場を創造できるという新たな経済循環モデルこそが、政治主導で切実に希求されているものです。しかし、残念ながら多くの政治潮流が、そうした明確な方向性を打ち出せないでいます。
今の政治に求められるのは、一握りのマネーの欲豚たちの肥大化とひきかえに、大多数の人間を不幸のどん底に落としいれる、強欲自由主義ともいえる新自由主義=マネー資本主義からの脱却だと思います。
残念ながら、政策集を見る限り、明確に、脱自由主義=脱マネー資本主義を打ち出し、共生協和の日本主義=公益資本主義を掲げているのは、国民新党くらいしかないようにくなった気がします。
ほかの政党にも、原理レベルでの根本的なアプローチをしないかぎり、大多数の人間を不幸の底なし沼に突きおとしながら継続しつづける強欲自由主義の呪縛から逃れられないという事実をしっかり認識してもらいたいものです。
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参考 国民新党VS立ち上がれ日本
国民新党政策集(米国代理店のマスコミが一番下げる政党だけあって、脱米志向が一番鮮明)
http://www.kokumin.or.jp/seiken-seisaku2010/index.shtml
立ち上がれ日本(100%民営化強調!平沼さん変節か?)
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