« 大連立に期待してノダ毒ブタ総理を再選させるアフォな民主議員 | トップページ | 素人がはまるワナ=耐久性を犠牲にした太陽電池モジュール変換効率競争 »

2012年9月25日 (火)

草の根主義の河村氏は権力集中主義の大阪維新に深入りすべきでない

脱霞ヶ関支配の結集軸として、一時期は期待を集めた”大阪維新劇場”ですが、幹事長の松井氏が、あまりにも個人的な好き嫌いを前面に出したチープな運営をしてくれるおかげで、舞台裏が露呈してしまって、かっての「コイズミ劇場」のような一大詐欺に発展する前に、終演に向かいそうです。

Photo

そんな潮目の変化を感じ取ることなく、名古屋の河村斬りをしかけて、中京圏は大村の下でまとめようとしている大阪維新の幹事長の松井一郎大阪知事ですが、自分は政略手腕を発揮してるつもりなんでしょうが、客観的に見る側にしてみたら、ぜんぜん大勢が見えない勘違い男にしか見えませんでした。

Photo_2

 

しょせん彼は、「大阪府議会」の「政治手腕自慢」にすぎなかったということなんですが、一番気になるのは、民主党のネオコン僕ちゃんとかサヨク崩れの連中と同じで、ベースにあったものが、「民に対する思いやり」でなく、「政治権力ゲーム遂行の目的意識性」だったり「反共イデオロギーのように敵をつくることによってしか自己のアイデンティティを確認できない空虚な思想性」だったということです。

いわゆる「保守の矜持」をもてない「なんちゃって保守」=「チョーセンウヨ」のネオコンにすぎないということですが、そんな了見の狭い人物が権力集中を志向しながら推し進める政治が国民の幸せに結びつくとは思えません。

「人道」「人類愛」をベースに「あたりまえの人間の気持ち」を保守しようとするのが、本来の保守の定義だと思いますが、維新をめぐる一連の出来事で繰り返されてきた松井・橋下氏を中心軸にした「完全同意か離脱か」という排除を軸にした権力集中志向は、「凛とした中にもあたたかいまなざしを湛えた」本来の保守の真逆にある気がします。

中央集権で霞ヶ関が決めたことを地方に押し付ける従来の行政のあり方を変え、地方の生活現場に根ざした地方の草の根民主主義で吸い上げられたものを地方行政が汲み取り着実に積み重ねていく行政に転換していくというのが、地方分権推進の真意だと思います。

ところが、一番最初に地方分権を訴えてたはずの大阪維新が、ボトムアップでなくトップダウンの組織を作ろうとしているというのは、自己矛盾のような気がして仕方がありません。
むしろ、彼ら大阪維新が掲げていた地方分権というが、実はただのお題目で、本当は自分たちの権力を強めるためにそのスローガンを利用しているだけではないか、といわれても仕方がないと思います。

普通に考えれば、河村市長のように「反霞ヶ関」で連携できると考えるのが当然だと思いますが、大阪維新の松井・橋下の本音は、「ただただ自分たちの勢力拡大」なのではないでしょうか?自分の権力拡大に都合がいいものはYESで、都合が悪いものはNO・・・一連の動きを見て感じるのは、大義というよりご都合主義的な権力願望だけです。

河村市長も、草の根民主主義を第一に考えていくつもりなら、権力集中主義=レーニン主義の大阪維新とは距離を置いたほうがいいと思います。仮に選挙で維新が対立候補を立てたとしても、いい意味で保守的な名古屋では、いんちき維新の候補が全員落選というのは見えています。

にほんブログ村 日本経済 にほんブログ村 政治・社会問題 にほんブログ村 風力発電・太陽光発電

|

« 大連立に期待してノダ毒ブタ総理を再選させるアフォな民主議員 | トップページ | 素人がはまるワナ=耐久性を犠牲にした太陽電池モジュール変換効率競争 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 草の根主義の河村氏は権力集中主義の大阪維新に深入りすべきでない:

« 大連立に期待してノダ毒ブタ総理を再選させるアフォな民主議員 | トップページ | 素人がはまるワナ=耐久性を犠牲にした太陽電池モジュール変換効率競争 »