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2013年6月29日 (土)

大和心を揺さぶる「八重の桜」が低視聴率の不思議

先々週より前半のハイライトの会津戦争のシーンに入り、佳境にはいってさぞ視聴率も上がっていると思ってみていたNHK大河ドラマの「八重の桜」ですが、意外や意外、先々週の「二本松少年隊の悲劇」より視聴率が急落しているようで愕然としました。

日本の伝統的な美意識を重んじる自分にしてみたら、「義に殉じる」「悲壮な覚悟」がびんびんと伝わる内容は、大いに心揺さぶられるものでしたが、15%、13%と逆に視聴率が激減したという事実に愕然としました。

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現代日本では「義に殉ずる心意気」とか「忠君愛国」というのは、それほど拒絶されるものなのかとトホホな気分でしたが、うがった見方をすれば、日本のメディアを支配している韓国系偽日本人の情報工作企業「電通」が、「視聴率の数字」をいじった可能性もなくはないわけで、真相はわかりませんが、個人的に納得できない気持ちでいっぱいです。

そうした意図的なものがないとして考えてみれば、テレビ視聴者の中で特に人口が多い団塊世代が、「会津人が示した武士的美意識」というものを生理的に拒絶する傾向が強いということを考えると、あそこまで、日本精神みたいなものを前面に出したことが裏目だったのかもという気もします。

学生運動世代で、反体制文化カウンターカルチャーに心酔してきた団塊世代は、旧体制を倒した側の長州のほうにシンパシーを感じるでしょうから、いくら歴史の真実とはいえ、長州のあこぎな様子が描かれるのは気分が悪いのかもしれません。

しかし、「歴史は常に勝者の都合がいいように書き換えられる」というのは事実であり、「官軍が善で、会津が悪という、新撰組=極悪集団」という従来の明治維新の時代の歴史的評価は、明らかに歴史的真実をゆがめたものだったと思います。

その意味で「敗者の側」から歴史を描いた「八重の桜」はもっと評価されていいと思いますし、会津が体現する「保守的」「人道的」美意識は今の時代だからこそ再評価すべきものだと思うのですが・・・・・。

残念ながら今の日本では、「革命=善」「保守=悪」という固定観念を支持する人の人口が多いということなんでしょうか?

改革詐欺のコイズミまつりにまんまと乗っかった現代日本の軽佻浮薄な実情を、あらためて思い知らされた「八重の桜」の低視聴率でした。

参考資料 早乙女貢氏「歴史の真実を知ろうとしないものに明日はない」(クリック拡大)
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長州によって書き換えられた歴史での「会津藩」をみると、アメリカ賛美とともに完全否定され続けた「戦前の日本」が重なります。
「戦前の日本には大義のかけらもなく、アジアに大迷惑をかけて、原爆をはじめとした無差別空襲を受けたのも当然だった。」
「日本を負かしたアメリカ軍は「軍国主義」を打倒して「民主主義」を実現するための正義の軍隊だった。」
という洗脳を受けてきたのが戦後の日本ですが、長州をアメリカ、会津を戦前の日本に置き換えると、同じように勝者によって書き換えられた歴史を鵜呑みにさせられてしまう日本国民のとほほな有様が重なってしまいます。

参考記事

会津士魂との出会い

http://volvolife.jp/author/aizu_shikon/

以下引用

これまで明治維新は参勤交代などによる諸大名の経済的疲弊などから徳川幕府が自然崩壊する形で大政奉還に至り、訪れたものと単純に思っていたが、 早乙女貢氏の「会津士魂」を読み、実は「徳川政権を外様大名の雄藩が同盟して転覆し、これにとって代わった」(早乙女貢氏)ものであることを知った。 これについては一方的な見方という指摘もあるが、実は現在多くの人が信じ込まされている明治維新観もやはり一方的な見方なのである。 「会津士魂」を読むと、明治維新は長州と薩摩が徳川家に対する関が原以来の恨みから、幕府の息の根を止めて政権を奪うことに執着して強引にもたらしたものである、とする見方が無理なく理解できる。

薩長は幕府が大政奉還した時点で協力して新体制を築けば良かったものを、長年の恨みからそのままで済ませなかったところに第二次世界大戦に至るまでの日本の不幸がある。 薩長は大政奉還を素直に受け入れたのでは徳川幕府と協力せざるを得なくなり、政権奪取の野望が果たせなくなってしまうため、どうしても幕府を倒した形にしたかったのである。 そのため、西郷隆盛や大久保利通などは江戸市中で手下に乱暴狼藉を働かせて旗本らを挑発し、幕府勢の反発を誘引するという謀略を実行し成功させた。 これによって幕府・佐幕勢力を逆賊として武力で倒す口実ができたのである。 鎖国政策を取ったとは言え、300年もの間平和を維持した徳川幕府を倒さなければならない理由とは何だったのか。 日本の安全を確保するために開国を決断し、公武合体を目指した幕府にどのような落ち度があったというのだろうか。 結局、西洋から武器を買い集め、政権奪取後も西洋にかぶれた薩長は、尊王も攘夷も討幕の口実にしていただけなのである。

会津藩主松平容保は徳川家にどこまでも忠義を尽くすという家訓にしたがって、新設された京都守護職を受諾した。 そして公武合体による政権運営を目指す朝廷と幕府のために、遠い会津から1000人を超える藩士と共に上洛したのである。 会津藩主従はどの藩よりも純粋に勤皇佐幕の姿勢を貫き、京都における長州藩による傍若無人な騒乱を静めるために身を粉にして尽くした。 そのため孝明天皇と徳川慶喜からは絶大な信頼を受け、最も頼りにされる存在となったことは当然であった。 にもかかわらず、最終的には薩長から朝敵・逆賊の汚名を着せられ、日本史上まれにみる残虐さで会津城下を蹂躙されてしまったのである。 朝敵となるようなことは何一つしていないにもかかわらずである。

戊辰戦争の勝者となった薩長は、会津城下において戦死者の埋葬を許可せず半年も野ざらしにしたり、自刃した白虎隊士の遺体を近くの住民が見かねて埋葬したものをわざわざ掘り起こさせたりと、歴史的にも稀にみる非人道的なことをしたのである。 そればかりか藩士とその家族1万7千人余りを藩ごと下北半島へ流罪した事実は、会津人ならずとも無念でならない。 この事実を無視して明治維新を論じることはできないことを知った。 本来ならば京都御所に大砲を打ち込んだ長州こそ朝敵なのだが、勝てば官軍とはこういうことだったのである。 京都での薩長の非道を知る会津藩の口を封じるために、藩そのものの消滅を狙った戊辰戦争は起こさなくても良かった戦争だったと思わざるを得ない。 戦国時代における勝者と敗者の関係とはまるで違うのである。

薩長土肥により作られた明治新政府は、廃藩置県によって旧藩主(約260藩あった)の権力を奪うとともに、その抑えとして日本陸軍を創設したが、日本陸軍の誕生はその後の日本が軍国主義へと進んでいくことを決定付けた。 そして、長州閥による日本支配は昭和40年代まで続くこととなったのである。

過ぎてしまったこととは言え、取り返しのつかないことにはため息が出るばかりである。 百数十年も戊辰戦争にこだわるのは頑迷であるとか、戦争とはこういうものだという意見もよく耳にするが、私はそうは思わない。 しつこいという点では300年恨み続けた長州の方がはるかに上だし、恭順(降参)している相手を完膚なきまで徹底的に痛めつけた戦争など滅多にないのである。 目を開かせていただいた早乙女貢氏のライフワークを私は陰ながら応援したいと思う。

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コメント

逆賊新撰組や八重桜が震災復興とからめて美化されて大河ドラマにされているが、しょせんフィクションであることを
確認すべき。八重桜や戊辰戦争とその子孫東條とか、新撰組に資金援助していた今の関東連合や部落開放同盟?竹中?みたいな弾左衛門は天皇に弓引いた朝敵であるためである。そうした朝敵を靖国は独立系だからといってごちゃ混ぜに
祭ってしまうと天皇が東條同様敗戦の元凶なの?とおかしなことになるのは明白。天皇はこの国では負け側になることは有り得ないことを確認する必要があるわけであり、それらはわが国の国体維持にとって超えられない一線であることを理解できない一部の者が逆賊だけど日本人だからとか、信念が~などと小さな弁明によって大きな損失を見せないようにしようという、イラクの3馬鹿みたいな左翼思想に他ならないというわけである。平清盛が栄華を極めたのに法皇や上皇や天皇サイドから逆賊となり、今や平家の落人は部落民扱いなのであるが、それは例え華族になれても天皇に弓引いた逆賊徳川とその穢れた遺伝子を撒き散らす名古屋土人や、皮革部落で有名な関東連合の江戸時代バージョンの弾左衛門、そしてそれらの飼い犬の逆賊新撰組、戊辰戦争の八重桜などが叩かれるのはそういう理由である。震災に陥ったことは非常に残念なことではあるが、現状の被災状況と当事の政治的闘争において因果関係を捻じ曲げてまで逆賊新撰組や逆賊戊辰組、その子孫東條を美化しようというのはNHKという大規模放送局が放映するにはいささかに稚拙過ぎるというわけだ。我々は地域の小英雄だけが全てなのではなく、小さな島国日本としてみた場合に当時として最も最適な政権を選ぶ自由や獲得闘争を引き起こすことは当然の権利であったので、単に福島が可哀相だから、徳川が部落扱いで可哀相だから、土方がゲイに人気有るから、という田舎の小英雄を美化したいからという理由だけで事実をどんぶり勘定することはよくないというだけの話である。これらの前提を踏まえれば、憲兵隊と新撰組と部落開放同盟の類似性も言わずもがなではあるが、アイヌ同様天皇家に弓引いた逆賊としてこの国の歴史上で既に処理された集団であり、だからこそ天皇否定に走る中国共産党系のような逆賊思想をこちらが正しい、本物だと煽ろうとするとすることが少しづつではあるが理解できるのではあるまいか。天皇のDNAでどの成分が検出されるにせよ、朝敵となった、ならないの事実に及ぶものではないため、仮に部落民の娘が部落民の立場をよくするために苗字が平とかいかにもな出自の娘を嫁がせてもそれで大逆行為というものが消えると言うわけではないので、この国の精神的国体維持にとってむしろ神経を逆撫でする結果にしかならないことを知るべきである。要するに新撰組や徳川や東條を美化することは、この国の日本人の日本国民の神経を逆撫でする精神であり、それらが例え、日本人の中で主流派から脱落した被差別部落のコンプレックスから来る物であっても、彼らだけが日本に住んでいるわけではないので新手な思想テロとしてむしろ弾劾されなければならないのである。これがまさしく極右と右翼の違いである。ヒトラーは昭和時代、日本人は天皇を大事にせよと伝えているが、当時の日本の宰相、東條と松岡はむしろその天皇から逆賊認定された非国民、もしくは隠れ非国民の出自であった為、こうした勢力はドイツよりもむしろソ連と組んで天皇制を廃止し江戸時代をさらに強化した東條幕府、八重桜幕府でも作り、占領地を大東亜共栄圏の小さなソ連にしたいとする意向が強いことが、自民族優先主義のエリート極右、ナチスドイツと国体解体、権力者による圧政支配と憲兵と言う被差別民による弾劾左翼支配のソ連左翼(半端な右翼)=これが実質左翼であり極左という構図が成立することになるのだ。要するに極右からみれば右翼というのは腐敗体制維持のために左翼が右翼ごっこをとった姿であり、それは無能な現体制を恐怖政治で強いる為に自国民に厳しい、もしくは虐殺を正しい犠牲と執行するのが右翼(この場合は極左)であり、腐敗体制を駆逐して、自国民の発展を促す為に無能な現体制を崩壊させ新秩序を作ろうというのが極右というわけである。明治維新は言ってみればナチ的でもあったが、それらは無能徳川と無能エタヒニンの根絶であり、昭和クーデターは中国共産党みたいな腐敗体制護持のための自国民犠牲当然主義者が陸軍士官学校を統制派で乗っ取り、かつての明治時代の逆恨みを自国民の抑圧で達成しようというポルポトや毛沢東のような極左革命でああったことが伺える。何より靖国神社をアピールすることで右翼のめっきを被ったことであり、これらが盲目的な愛国心を尽忠報国などして賛美しようとする見た目右翼の韓日友好、竹島提供みたいな右翼というよりは右翼(笑)に結びつくというわけである。靖国神社の東條庇い工作は八重桜や部落民新撰組徳川や東條を賛美しようとする右翼と言うよりは右翼(笑)の実質的左翼であり、この手法は文化大革命などの権力者による知的階層の絶滅工作に近いというわけだ。いや、本質的には同じである。ドイツはヒトラーによって日本の徳川や部落にあたるドイツ共産党は葬り、戦後分割統治されても目立った戦闘もなく東ドイツ、つまり左翼側から勝手にソ連崩壊に合わせて併合できている点が興味深く、彼らはその後ワイマル憲法時代の塗炭の状態からはいくぶんマシになっているだろうし、イスラム左翼が国家を荒らしまわり、ドイツを乗っ取ろうとする新しい問題に直面してはいるが少なくとも賠償金で踏み潰される状況ではないことから、敢えて暴れた意味はあったのかもしれないが、ある意味自国民優越主義のもたらした結果とその正反対なのが日本のポルポト東條や徳川、新撰組のケースである。こちらは自国民弾圧主義という反省、刑罰、虐殺主義である為、腐敗体制が内圧(明治)、外圧(米英)によって、なされ、現状は米英によって潰された分中国で言う香港のような状態となり、東條の左翼支配よりも米英の植民地支配のほうがまだマシになってしまったという馬鹿げた状態に陥っているという目を背けたくなるような状況にあることが分かるだろう。仮に日本をワイマルドイツぐらいに追い込むと極右が行動しやすくなるという歴史を踏まえ、自民党という左翼寄り政党と竹中のような部落民を用いて中間層を絶滅させ、アルバイトと移民にして自国民弾圧主義と自民幕府の形成を促したいと考えている連中が冒頭における八重桜美化、逆賊新撰組美化、東と日本は違う思想のばら撒き、文系学問に左翼思想の投入などを行い、有能層の弾圧と無能談合の為のコミュニケーション至上主義、この場合は完全なるコミュニストではあるが、実質左翼体制の達成だというだけの話である。これは内部左翼が自民であり、中国共産側からの支援による民主党、所謂外部左翼との違いこそあれ、どちらにも左翼的であるという類似点があるが、違いがあるのは自国民労働者を守ろうとする側がこの場合ドイツでいうワイマル否定派の極右サイド的であり、自国民労働者を絶滅させ、移民に置換しよう、反対派は粛清しようという犠牲必定主義が極左サイド的であるということである。安倍は低学歴ゆえに理解はしないだろうが、TPPに反対する左翼に屈しないといいながら、それは外部左翼に対しての言葉であるが、実質自民党と部落開放同盟のやっていることは内部左翼、ポルポト的な労働者絶滅、移民置換によるソフトな自国民弾圧思想であることから、彼らもまた左翼であるというわけである。左翼と左翼が食い合っているため、政権交代しても改善される問題もあるが、残る問題もあるどころか、外部左翼の悲願である人権侵害設置法案や外人参政権、自民と部落の派遣改悪法など恐るべき国家解体法が自民、民主両サイドから発生した事実からも知ることが出来るのだ。自民であっても民主であっても八重桜という自滅賛美はNHKみたいな大手が垂れ流し、自国民の労働者の雇用を派遣によってぶつ切りにして生活基盤を破壊し絶滅を試みようとする部落開放同盟を野放しにする小泉政権やその後継者安倍を含め、戦後米英の植民地であり続けたわが国はまさしくワイマルドイツのように左翼がストライキを起こして国家と国民の生活基盤を外国に売り渡し、滅亡させようとする勢力に満ち満ちている末期的状況であることを知らねばならない。敵はこうした滅びを善とする左翼勢力そのものであるが、名古屋土人を含めこの国のサヨクと言うのは非常に巧妙であり右翼の”皮”を着ることに長けているのであるが、近年ネットの台頭によってそうしたややこしい工作を看破することは容易となりつつあるのだ。今や若者は新聞やテレビを信用せず、むしろネットで相互情報を確認して話の根幹を知るようになり、より左翼の排撃というナチ的闘争に近付きつつあることは非常に喜ばしいことでもあるだろう。というのは極右勢力が不在なため、今まで愛国右翼の側を被った左翼な部落民どもが図に乗れたことが弾劾しやすくなったからである。面白いのは名古屋人という日本の天皇弓引いた逆賊の末裔どもやその下僕憲兵新撰組や平家のカムロみたいな被差別民どもと外部左翼の中国共産党系や北朝鮮などの外部左翼が権益を奪い合って殺し合いを始める点であろう。しかし、あくまでこの国を本当の意味で正しく導くことが出来るのはそうした内部左翼や外部左翼やどっちに転んでも自国民弾圧左翼となる自民民主ではなく、極右闘争に目覚めた我々でなければならないということである。この国は天皇を精神的柱としながら、無能な政治権力との決別の為の闘争によって統一されなければならないのであり、それは内部左翼と外部左翼の内ゲバによるものであってはならないのだ。自民民主が徳川、不良アジア人や部落開放同盟が憲兵や新撰組みたいなものであるが、明治時代はその両勢力を連続して克服しているという事実を忘れてはならない。在日支配と部落支配の壊滅こそ我々が真に望む闘争でなくてはならないのだ。自民と民主はそうした意味で末期的であり、真に自国民優越主義、自民族優越主義を望む者だけが破滅的状況を打破しうる唯一の存在であることを過去の克服闘争を再確認して知る必要があるといえるだろう。この国は名古屋人を始めとした天皇に弓引いた無能層どもの玩具に堕させてしまってはならず、それらは逆賊新撰組や逆賊東條、裏切りの靖国野郎との決別でもある。奴らは感情に訴えるだけで何の進歩のビジョンも見出さないどころかむしろその逆だ。破壊し破滅させるだけの、そして結果を予想できないが保身だけは直感的に感じる単なる一方通行感覚バカに過ぎないことを今一度確認しなければならないだろう。

投稿: 朝敵!名古屋人ww | 2015年1月29日 (木) 22時56分

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