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2015年2月 8日 (日)

人道を極めた天皇陛下ならDQNのアベゾーみたいな物言いはありえない

先週は「イスラム国」をめぐるアベ総理の物言いが国会の質疑で追求されるようすがよく報じられていましたが、その是非を報じるテレビ番組の中で、いろんなコメンテーターが「一枚岩にならないといけない」という「キーワード」を繰り返していて、気持ち悪かったです。

「テロリストに足元を見られるので、アベ総理の発言に異を唱えること自体が間違い」「国民が一枚岩であることを示さないといけない」などもっともらしく「アベ非難=悪」であるような世論誘導担当のコメンテーターが配置されていてものすごく違和感がありました。

強力な地盤を引き継ぐ世襲議員なら無能のあほでも国会議員になれるのが日本の政界ですし、当選回数をかさねることであほでも大臣になれるのが日本の政界です。

ですから日本の政治家の言葉は、そこらのB級タレント並みに軽いわけで、なんでそんな「世襲ばかぼん」の発言を国民「一枚岩」で支持しなきゃいけないんだ!あほ!と腹立たしく感じました。

その手の仕掛けコメントを担当した連中は、CIAお抱え新聞だった読売系編集幹部とか、なんみょう教団系の国際弁護士とか、その他大勢のおきまりの機密費乞食コメンテーター連中だったんですが、そもそも従来の日本国民のコンセンサスを勝手に逸脱したのはアベ総理なわけで、そんな自分勝手な奴の言動の下で「一枚岩になれ」と言われても、冗談じゃないよという思いです。

「一枚岩」というなら、まづ日本国民の統合の象徴であり、人道を極められ日本国民の敬愛の対象である天皇陛下の大御心のもとでこそ実現すべきではないでしょうか?

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慈愛あふれる天皇陛下だったなら、中東で人道支援についてどんな話をされるか、後藤さんの殺害に対してどんな話をされるか、ということを想像してみれば、答えが見えてきます。

悲惨な状況に追い込まれている難民の人々への思いやり、とそれを支援する国への感謝と支援表明、残虐な行為が繰り返されることに対する深い悲しみの表明、絶望的な状況でも希望を失わず、人を愛し、平和を希求し続ける決然とした意思表明、、、、もし天皇陛下がアベ総理のような発言機会を得られたら、こころにしみるメッセージを発せられ世界中の人々のこころにともしびを灯されたはずだと思います。

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天皇陛下の話されるだろうお言葉を思い浮かべてみると、アベ総理の発言がいかに日本国民の総意を逸脱していたかということがはっきりします。

日本国の大前提であるべき天皇陛下の大御心をないがしろにして、人格的にも能力的にも問題がある4分の一の国民にしか支持されていない(世論調査の有効回答は50%その半分の支持があっても25%しか支持がない)アベのいいたい放題に国民が一致団結して一枚岩ででつきあうことを求める機密費コメンテーターの発言はあほ丸出しです。

陛下ならどう考えられるか・・・どう発言されるか・・・そんな日本国の政治に携わる者として当然の「陛下の大御心に対する忖度」を怠らなかったなら、もっとまともな政治になるはずだと思いますね。

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2015年2月 5日 (木)

1月発電量★アベ坊ちゃんの民主党推進政策つぶしのとばっちり?太陽光推進打ち切り・児童手当大幅減額

還暦すぎたいいおやじのくせに・・・まだ皮がむけていない方の中学生みたいな幼稚で大人げない言動が鼻につくアベ総理・・・・。あの人の民主党に対する憎しみに似た感情はなんなんでしょうね。

わたしも頭でっかちのお子様中高年の巣窟であった民主党ネオコン連中にはいい印象をもっていませんが、火病起こした韓国人みたいに、アンチ民主党に異常な執着をみせるアベ総理にはさらにさらにドン引きしてしまいます。

昔の自民党はもっと大人の集団だったと思います。それが、今じゃあ、いい年して中学生坊主みたいな口げんか自慢の幼稚な連中がごろごろしていて・・・世襲の弊害極まれりですね。

それに乗じて霞が関の連中が、あほ世襲のぼっちゃんおやじをよいしょしながら、いいようにあやつってやりたい放題しているわけですから、困ったもんです。

コずるい役人がアベ総理の機嫌をとろうと思えば、民主党が進めた政策をことごとく灰塵に帰すような政策提案をすればいいんでしょうが、過激にやってくれちゃってますね。おかげで対応を迫られる事業者にしてみたらいい迷惑です。

いきなりの太陽光の設備認定打ち切り、児童手当の7割カット超減額(民主時代からは8割カット・・・怖いもの知らずで何度選挙をやっても確実に勝てるツール(不正得票カウンター)でももっているんじゃないかと勘繰りたくなるくらい傍若無人です。あの勘違いの自信はどこからきてるんでしょうか?

先月で打ち切られた太陽光の設備認定の申請では、駆け込みが多くて大変で、来年度の前半分の受注はもらえましたが、その先のことを考えると、絶望的な気分です。
1kwh25円~27円という大幅減額された売電条件で太陽光発電をこれまで通り設置していこうと思うと、パネルも架台も中国製という選択肢しかなくなってしまうと思いますが、それでいいんでしょうかね?もうすこし国内生産にこだわるメーカーへの手当も同時に用意してもよかったのではないかと思います。

どうも太陽光=反原発=サヨク=せん滅対象・・・という思い込みが激しいアベ総理にしたら、太陽光発電をすすめようという事業者はサヨク系で、彼らを叩き潰すことで「美しい日本をとりもどす」という愛国的使命感をたぎらせているんでしょうが・・・・。とんだ勘違い野郎のあほだと思います。

尊皇攘夷をかかげて西洋列強相手に戦争始めたかと思えば、自分たちの思い通りにならないと逆切れして御所に大砲をぶっ放したり、仇敵会津びいきの天皇陛下を毒殺したり、支離滅裂のDQNぶりを爆発させた幕末の長州人そのもので・・・・。自民党内の保守の矜持をもったまともな大人の政治家の先生方・・・中学生のまま還暦を迎えたみたいなこのDQN総理を止めてください。

太陽光発電のマイナスを上げたらきりがありません。膨大な設備面積が必要となる、天候に左右される、夜間は発電できない、発電電力あたりの費用が高い。ただそうした議論のほとんどが、単体で運用した場合に顕著になるマイナスだということを見落としているような気がします。

フレキシブルな出力調整ができる発電機とか蓄電池の組み合わせることで、消費電力のピークの山のなかに発電出力のピークの山を納めることも可能で、ほとんど無駄になる電力が生まれないという太陽光発電の特徴にもっと注目する必要があるのではないでしょうか?

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一日の電力消費量の推移(春)

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天候が悪いとか夜間とか太陽光が発電しないときだけ燃料を消費して発電する、もしくは余分に発電できた分を蓄電しておいて、足りないときに放電して不足分をまかなうというインフラを充実させれば、かなりの省エネと排気ガスの排出も抑えることができます。

それと比べて原子力発電の場合は、1基当たりの発電量は大きいですが、細かい出力調整ができませんので大量の核廃棄物を生みながら発電しても、大部分の電力を廃棄せざるを得ません。今のようにトータルの経済効率を考えたら、ないほうがいいわけです。
ですから原発についてはあえて核武装の余地を残すために必要な数基を残し、その電力を消費ベースに充当するくらいの役割に限定しておけばいいのではないでしょうか。
基本は自然エネルギーと蓄電と、高効率のガスタービンの相互補完のインフラ整備をめざし、未来的には水素燃料を媒介させた蓄電の増加とともに、自然エネルギーの比率を高め、エネルギー完全自給の体制めざすという流れになると思います。

そう考えると、インフラ整備ができていない現時点では、すぐに有効活用できないからといって、まだまだ飽和に達していない段階で、将来の供給過剰を見越して、いまから無限のエネルギー源である太陽光発電事業をたたきつぶすアベ政権の選択は、全然先を見ていない・・ただの民主政権への意趣返しという幼稚な選択にしか思えないわけです。

自民党には、還暦チュウ坊のアベ総理と違ってまともな大人の判断ができる政治家もたくさんいるはずです。中学生坊主のアホガキの過ちを正すのは大人の仕事ですから、しっかりして10年先20年先の投資につながる政策を実現してもらいたいと思います。


さいごに1月発電量記録紹介します。

名古屋市東区16.8kw 南5度(クリック拡大)

201501mx1680s

一宮 4.62kw 3面 東南西 26度
201501mx462swe

名古屋市北区5.28kw(南東隣接マンションの影被害あり)26度
201501sh528sse

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2015年2月 2日 (月)

追悼★後藤健二さん★自分の死を憎しみの連鎖の起点にはさせないという日本人としての想いに応えたい

悲しい知らせがとどきました。悲惨な状況の中で懸命に生きる人たちに温かいまなざしを送り続けてきた後藤健二さんが、イスラム国により殺されました。

その理由は、彼個人がどんな人間かということではなく、ただただ日本人であるというだけの理由・・・宿敵イスラエルとスクラムを組み、「イスラム国撲滅支援宣言」をした安倍総理の国の「国民である」というだけの理由で、なんとも理不尽極まりないものでした。

そして、そんなやりきれない不条理こそが、世界中で繰り返されている現実なんだということをあらためて痛感させられた次第です。
しかし、現実がどんなに冷酷無情なものであろうと、内に秘められた人の善なるものを信じ、「やられたらやりかえす」という流れを必死に断ち切りながら、人間の友愛の情に希望を持ち続けたいと思います。
それこそが何万年、何十万年先の「慈愛に満ちた世の中」を願い、「千代に八千代に」いのちのリレーをつないでいこうという想いを託した「君が代」を国歌として抱く、日本人としての真骨頂ではないかと、あらためて思います。

殺された後藤さんの最後のメッセージ「何が起きてもシリアの人たちを恨まないでください。」にも、先のアメリカとの戦争で、無差別殺戮で肉親を奪われてもなお、憎しみを人類愛に昇華させ、平和国家の理想を描きながら、戦後を生きた日本人の魂がしっかり引き継がれていると感じました。

おそらく天皇陛下も、明治天皇や昭和天皇のように「四方の海 みな同胞と思う世ぞ なぜ波風の立ち騒ぐらん」と深い悲しみを抱きつつも、ともに相和す希望の未来を信じ、粘り強く友愛を重ねいく国であることを望まれていると思います。

それに引き換え、「恨の文化」の「コリアン混じり」の「長州人」である総理大臣アベシンゾウには、真の日本人としての高潔さも、寛容さも欠如していると思いますが、その人間が日本国の総理大臣であるということこそが、病んだ現代日本を象徴しているのかもしれません。

有力な世襲3世であるというだけの理由で、たいした人望も能力もないのに国の総理大臣になれるような政治体制の中、それを漫然と許してきた報いなのかどうなのか、アベシンゾウの宣戦布告により、「イスラム国」との戦争の当事者になってしまった現実を受け止めるしかないようです。

しかし、この先にどんなに悲惨な悪夢が訪れようと、後藤さんが残した「シリアの人たちを恨まないでください」という言葉に込められた深い想いを受け止め、あまたの「人間愛」が発する「希望の光」は見失わないでいきたいと思います。

70年前の戦争で、アメリカ軍は、日本の非戦闘員の国民に対し50万人もの無差別殺戮を繰り返しました。罪のない女子供を、まるで殺戮ゲームを楽しむかのように、戦闘機で追いかけ、撃ち殺したアメリカ軍パイロットはかなりいたそうです。
わたしの母が子供の時、その母も、姉も、おばも、いとこも避難民を狙い撃ちしたアメリカ軍の爆撃で、無残に肉片にされ、東区の山口町のいちょうの木の枝にぶら下がっていたそうです。いまでもその時の姉の遺品の小さな赤いマフラーを大切に持っているそうですが、その話を聞くたびに胸がしめつけられます。

Photo アメリカ軍の戦争犯罪は問われなかった

Photo_2 追い詰められて焼き殺された人々

Photo_3 無残に焼かれ引き裂かれた母親と赤ん坊

そうしたアメリカから数知れないつらい仕打ちを受けた70年前の日本人ですが、アメリカから受けたつらい悲しみを、憎しみにつなぐことなく、世界平和を願う人類愛へと昇華させ、平和国家としての日本を守ってきました。
一人ひとりが良心という等身大の神仏をもつ日本人は、それぞれが「罪を憎んで人を憎まず」という仏の教えを体現したのだと思います。

そうした日本人の父祖の血をもつことを誇りに、DQN長州人総理アベの激情にまどわされることなく、「君が代」の願いを日々精進していきたいと思います。そのことこそが「後藤健二さん」の命がけのメッセージに対する真摯な返礼になるのではないでしょうか?

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