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2016年11月 8日 (火)

天皇陛下のお言葉をあらためてかみしめる

朝刊で天皇陛下の「生前譲位」を検討する有識者会議の内容が報道されていました。

「象徴天皇制」の本来の趣旨は天皇・皇族を単なるお飾りにするものだからその範囲で対処すればいい」という単純合理主義的意見

「日本国民の心のよりどころ」となり「敬愛の対象」となる「皇道」をきわめてこられた実状を反映させた法運営に基づいた法整備をすべきという本質的意見

「高齢の陛下に激務を負わせるのはかわいそう=公務軽減すべき」という陛下の真意を理解できないわからんちんの意見

に大別されるようですが、改めて求道の果てに、国民とともに歩まれる中で「象徴天皇」という存在を単なる「お飾り」としての「象徴」でなく、真に国民の「心のよりどころ」としての「象徴」へと昇華させた「天皇陛下」のお言葉の真意を、かみしめたいと思います。

世界が混迷を深める時代だからこそ陛下があえて宣言された「象徴天皇である意義」の中に、天皇陛下をはじめとした皇族方が体現されてきた日本人が大切にしなければならない「こころ」=「人の道」が示されているのではないでしょうか。

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天皇陛下のお言葉

戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
 私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じここに私の気持ちをお話しいたしました。 
 国民の理解を得られることを、切に願っています。

資本主義にしても、社会主義にしても、「合理的な」システムに依拠して理想を実現しようというものです。しかし、そのどれもが、機械的合理性ではとらえきれない「人間の悪しきこころ」=「我欲」「業」により、行き詰まりを迎えざるえなかったというのは、必然だった気がします。

平等社会の理想を掲げた社会主義が、賄賂にまみれ、腐敗した官僚支配と、希望を喪失し意欲をなくした人々の堕落により破滅に行き着いた一方で、経済活動の自由を究め、無限に繁栄するはずだった資本主義が、一握りのものが富を独占できるマネーゲーム主体の強欲資本主義に変質し、社会の新たな活力を食いつぶしつつある中、今求められるのは、安易に合理的なシステム構築に依存し、それにとらわれることではなく、同時に常に「こころ」に向き合い「こころ」に反しないあり方を大切にし模索し続けるということではないでしょうか?

「こころ」=「人の道」を真ん中に置かれた天皇陛下が究められた「象徴天皇」という存在は、混迷を深める現代だからこそ、世界のあらたな「希望」を映し出す存在として、あらためてその偉大さを感じます。 天皇陛下が究められた「こころ」=「人の道」を忖度する先にのみ「日本国」のひいては「世界」の未来がある気がしてなりません。

「武士の情け」「情けは人のためならず」という日本人特有の人生哲学が世界中に広がったとき、世界の歴史の新しい扉が開くと思いたいです。

機械的合理主義が闊歩する現代ですが、あえて「日本らしさ」を体現し、精神的価値を重視する「こころ」=「人の道」のなかにこそ未来が見出せるのではないかと信じています。

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